モーラー奏法には「脱力」が大切。
これ、誰もが頭ではわかっているはずなんですが・・・ほとんどの人にとって、最初は戸惑いの連続です。
「脱力してラクに大きな音が鳴る」という体験を生まれて初めてした人は「鳴っている音と身体の感覚が一致しない」「起きていることが理解できない」といった状態になります。
軽いパニック体験の後で「普通」の基準が更新されていく…今日もそんなプロセスに立ち会っております。かなり楽しい☺️
— 山北弘一@ドラム講師 (@yamakitakoichi) February 21, 2020
今回は、そんなパニック体験を乗り越える方法についてです。
手応えがなくなるって、めっちゃ不安
脱力すると、手応えがなくなります。
今までは大きな音を鳴らすと手が痛かったり、腕に力が込もる「充実感」があったりしたわけです。それが無くなってしまう。
僕は最初、「怖い」と思いましたね。
まず、リズムの拠り所がなくなるのが怖い。腕に力が入ることによってリズムを感じていたのに、頼りにしていた感覚がなくなってしまうんです。どうやってリズムを取ったらいいかわからない。
また、自分に手応えがないのに「音が出ている」。透明人間がやってきてコッソリ叩いているんじゃないか?というくらい、自分がやっている感じがしないんですよ。これもオカルトみたいで怖い(笑)。
そんな調子なもんだから、一向に出来ている感じがしない。でも先生は「OK、それで良いですよ〜」と。
「なんじゃそりゃ?」
「こんなんでいいのか!?」(いいわけないやろ!?)
という、まさにパニック状態です。
価値観が崩壊する
それと同時に、「今まで頑張って力を入れてきたのは何だったのか?」という思いも襲ってきます。
「これまで必死に力を込めるトレーニングをしてきたのは無駄だったのか?」
「こんなにラクなのが許されるのか?」
と。
ぼくも習いはじめた時は・・・ぶっちゃけ悔しかったですね(笑)
しか〜し!人生に無駄なことは一つもありません。
今までのやり方では限界があるとわかったからこそ、「脱力」という方法に進むことができたわけです。最初から脱力出来ている人もいるかもしれないけれど、ぼくの人生においては「一度、頑張る」というのが必要だった。ただそれだけ。
真に乗り越えるべきは?
ぼくの場合、脱力の本当の敵は「自分がやってきたことを正当化したいという思い」でした。
キャリアが長い人ほど新しいことを取り入れるのは大変ですが、ここは是非とも乗り越えましょう。
力まなくても大丈夫(^^)
力が伝われば、音は出る。これが事実です。
ドライなようですが、自分がどれだけ頑張っているかはあまり関係がありません。外の世界に対してどう作用するかが全てですからね。
だから、起きていることを客観的にみる。その時自分が何を感じているかを主体的に味わう。
そんな繰り返しの中で、今まで普通だとおもっていたことが普通ではなくなっていく。結果的に「上達」し、世界の見え方が変わる。
そんな変化を楽しむことができれば、必ずや脱力をモノにできるはず。頑張っていきましょう!